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月例コンテスト嫌う写真家がいる!でもどん底から月例に救われた! [月例コンテスト]


月例写真コンテストを嫌うプロ写真家がいるそうです。
しかし、私は写真無知のどん底から月例に救われました!
金なし、暇無し、師匠なし。 この状態を脱するためには、
カメラ雑誌の月例写真コンテストは救いの神であり、光でした!





昨日、私は、このブログの過去の記事を見直していました。


ある記事を読んでいると、



「このプロカメラマンは、月例コンテスト出身のプロを嫌っています。 

こんなこと知ったら怒られますよ!」



というような意味のコメントが書かれてありました。


「えっ?」 と驚いてもう一度記事を読んでみました。


私は、その記事に、

「月例コンテストを学びの場として、プロになったカメラマンを

何人か載せていました」


ところが、そうでない人が、一人、その中に

誤って、入ってしまっていたのです。


「あっ!ほんとや!」


早速、指摘して下さった人にお礼を言って、その

カメラマンの名を削除させていただきました。

おそらく、私の勘違いだったのだろうと思います。



皆さんも、そんな時は、ご遠慮なく、

「そこはおかしいよ!」 とか言って、

指摘、なさってくださいね。


宜しくお願いいたします。



 

    < 月例コンテスト出身 が何故悪いの??>




これを書きながら、妙な因縁めいたものを

感じております。



実は、私の住む「伊丹市」で、今 「写真展」 が開かれています。


大原治雄(故人)写真家の展示会です。


このカメラマンは、1909 年に高知に生まれ、18歳で

「農業移民」 としてブラジルに渡ったお人なのです。


写真家・大原さんは、ブラジルでは

非常に 高い評価 を受けているのもかかわらず、

日本 ではこれまで紹介されたことが無かったそうなのです。


まあ、それはそれとして、


私が 「農業移民」 と聞いて即、思い出したのは、

プロカメラマンの 「英伸三・はなぶさしんぞう」 さんでした。



英伸三.jpg
「英伸三」 さん



ご存知の方も多いと思いますが、

もう、かなりの お歳 になられると思います。


英伸三さんは、長い間「農村」を撮り続けたカメラマンでした。

栄誉ある賞なども受賞されている、中堅カメラマンです。

現在は、写真コンテストの「審査員」などを務めておられるようですね。


わたしが、写真を学び始めたころ、すでに、ベテランのアマチュアとして、

カメラ雑誌に盛んに投稿なさっていました。(大先輩だったのです)

働くかたわら、東京綜合写真専門学校の夜間部にも

通っておられた努力のお人でした。


面白いことに、この写真展に私と一緒にやってきたのは、

「伊丹の農村事情」 をテーマに勉強を続けている、

アマチュアの「Ⅿ」さんです。

彼も、カメラ雑誌の「月例コンテスト」で、

腕を磨いています。


農業は、過疎地や、高齢者問題と相まって、今、

日本にとって、大きな課題になっています。


取り組みがいのあるテーマと言えましょう。


冒頭にありますように、写真コンテスト出身嫌いのプロがいる一方、

前述の、農業という日本の大問題に取り組んでいるカメラマンが、

共に、月例コンテストで学んでいるというこの事実。



しかし、月例コンテスト出身を嫌う人もあるというのですから、


ホントに、いろいろですねー!



では 「タイトル」 のウシロにある

「どん底から月例で救われた」 

というのは次回でお話ししたいと思いますので
よろしくお願いいたします。





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月例コンテストの常連、今では風景写真の大家! [月例コンテスト]

月例コンテストは、「竹内敏信氏」にとって、師であり、
学校であり、いわば写真道場だったともいえるでしょう
月例コンテストを続け、今では随一の「風景写真」の大家!
そんな竹内敏信カメラマンをご紹介します。



t竹内.jpg
(風景カメラマン:竹内敏信氏)




「竹内敏信氏」 といえば、写真愛好家なら、
もう知らない人は無いぐらい有名な方です。



私が、上京して、初めて写真を学びだしたころ、

先輩から譲り受けた「カメラ雑誌」の月例コンテストに

毎月のように入選 していた人がこの人だったのです。



それどころか、他の「カメラ雑誌」にも、同時入選していて、

「この人、いったいどんな人だろう?」

とずいぶん興味を引かれたものでした。



知るところによると、普通の大学を出たあと、
愛知県の県庁に勤める一般のサラリーマンでした。


いわば、働きながら、独学で、プロになった写真家なのです。



当時の、古い「カメラ雑誌」では、当時、すでに、アマチュアとしては、

ベテランの域を出る勢いであり、月例コンテストも卒業か
と思えるほどのベテランアマチュアだったのです。


その頃は、何でも撮って月例コンテストに応募していたようです。


あまり記憶がハッキリしないのですが、
竹内敏信氏が、「風景」 を専門に撮るようになったのは、
たしか、「燃え上がる山林の写真」 を撮った時ではないかと思います。


その頃の竹内敏信氏の写真には、炎上する山々の
「真っ赤な炎」と、「焼け焦げる空」の対比が、
印象的な写真として、頭に残っています。


先にも言いましたように、
すでにベテランの域を超えようとしていた竹内さんは、
自らも、「燃え上がる山林の写真」を見た時、
「衝撃的だった!」 と言っています。


竹内氏は

それを堺に、「風景写真」に移ったようです。

40歳を超えていました。



かつて、カメラ雑誌の月例コンテストで、

いわば 「コンテスト嵐」 ともいえるほど、


月例写真コンテストを師とし、訓練の場として、

また学校として、挑戦し続けたカメラマンも珍しいかと、

私は思っています。








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