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カメラマン!雑誌を頼りに必死の独学!体をコワシテ遂に土門拳賞! [独学]

カメラマンを目指し雑誌を頼りに独学!病気で入院しながら
とうとう写真の最高峰・土門拳賞を制覇した人を紹介しました!
天性があったとは思えないこの人にとって、輝かしい受賞歴!
その秘密が何かをお伝えしようと思います。




前回、「自然界の報道写真家」について、常人が
なしえないような輝かしい実績残した「宮崎学」カメラマンについて、
その歩みの概略をお伝えしました。


彼についての多くの資料を見ても、決して才能豊かだったとは
言えない彼が、カメラマンとして、何故多くの驚くべき実績をあげられたのでしょうか?

写真界・最高峰とも言われる「土門拳賞」をも手中にできたのか?

今日は、それをお伝えしたいと思います。


凡人が中卒・独学でプロになるまでの数々のカベ!




彼が、中学を卒業してバス会社に就職したことは、
前回述べました。

その後、写真に興味を持って、初めてカメラを手にした
のが、「16歳」 の時。

最初は写真が好きだとか、関心があったわけではありません。

転職先が、たまたま、「光学機器メーカー」だったので、
カメラに触れる機会に恵まれたというだけなのです。


工場に努めるごく普通の工員さんだったといっていいでしょう。


工員.jpg


その彼が、雑誌を教材に、ちょこちょこ写真を撮り始めて、応募した動物の
写真が、思いがけずカメラ雑誌のコンテストに入選を果たします。


これに気をよくした宮崎さんは、次第に写真にのめりこんで
いくようになるのです。

ここまでは、多くのカメラマンが経験しているパターンです。


でも、ここからが、尋常ではありません。

雑誌を見ながらカメラ操作に夢中になっていきます。

撮っては、検討する、撮っては考える・・・ひたすらそれを繰り返す!


そのうち兄がカメラマンになったのに刺激を受けて、
本気で、写真家になろうと決意したのでした。

そして、23歳でプロデビューを果たします。


プロになる際、実は、その機会を与えたのが、作家と
雑誌社の編集長だったのです。


彼は、写真を始めた初期の頃、撮るのが難しいとされた
「ニホンカモシカ」の撮影に夢中になります。

撮る前に、あらかじめ、1年半の登山訓練を行える
団体に所属し、

「個人登山」ができるようになってから、
「ニホンカモシカ」の観察、研究に没頭していきます。

しかし、その無理がたたって、体調を崩し、病気で
「3年間」の
入院を余儀なくされたのでした。


退院後、やむなく職場をやめ、養生をした後、アルバイトを
しながら、再度、「ニホンカモシカ」 の撮影を始めたのです。


その努力が、『アサヒカメラ年鑑』への入選として、
実を結んだのでした。


それを高く評価したのが、先ほどの二人だったのです。

一人は出版社の編集長、もう一人は、児童文学作家だったのです。

二人は、宮崎さんの生物に対する「情熱」や、写真にすっかり感動
してしまいます。

このお二人のあとおしで、写真絵本の『山にいきる にほんかもしか』
出版の運びとなったのでした。

その後、過労から「胃潰瘍」で再び入院という憂き目に
あってしまうのですが、なんとか、それを乗り越え、

プロデビューを果たすのです。

23歳の時。

その後の活躍は、前回お伝えした通りです。


困難を乗り越え異質のカメラマンになり得た理由!




宮崎氏は、




29歳の時、個展 「けものみち」 で注目されています。


「けものみち」というのは、

アルプスの登山道に「無人撮影」のカメラを設置して 、
そこに現れる野生動物を、3年間にわたって
撮影したものです。


無人カメラ.jpg
(無人カメラ・前出)<アサヒカメラ誌より>


この作品群は専門家の間で問題視されたものです。

「自分でシャッターを押さずに、作品といえるかどうか?」

ということだったらしいです。


それに対し、宮崎氏さんは、

「熊は、それでしか取れない!」と反論。

また

「動物の普段見えないところが撮りたい!」

と答えています。





フクロウは夜行性なので、撮影に大変な苦労をする。





作品集 「死」 について。

「刻々と無になっていく屍(死体)を記録し続けた」

それによって、「生」 を問いかけ、問題視した。



以上、作品を3点挙げてみましたが、これだけでも、
宮崎さんの撮影視点が、他のカメラマンと異なるのが分かります。


 は、無人カメラの開発と工夫に熱中。
② は、夜間に動物を撮るくふうを徹底して模索。
 は、ただの生態だけでなく、生死の奥まで追求する執念。


この①②③から、あなたは何を感じましたか?


一言でいえば、

「撮る対象について、徹底した思考と情熱」

ということです。


では、他のカメラマンが考えないかというと、そんなことはありません。


カメラ雑誌などでは、「撮る前の思考こそ大事」 だと
いうカメラマンが、ほとんどなのです。


あの「森山大道」さんは、小型のコンパクトカメラをポケットに
潜ませ、一日中街なかを歩きながら、これはと、思ったものを
カタッパシからスナップしていくとカメラ雑誌で言っておりました。

森山大道.jpg
(森山大道さん)


「いろいろ考えたり、思ったりしない」することなどしない!
というのです。

しかし、もう70歳を超える大道さんにして、言えることで、
誰でもそんな風にとることは、できないでしょう。

この域に達するまでは、大道さんは、
「徹底した思考」「夢中で撮ってきた」過程を繰り返してきたはずです。



7,8年前にノーベル賞を受けた物理学者の
益川 敏英(ますかわ としひで・76)さんは、

益川ノーベル.jpg
(益川 敏英=ノーベル賞学者)


疑問が起こったら、その問題を解けるまで考えるそうです。



例えば、

学生が難問につまづいているのを知って、共に
その問題を考えたことがあったそうです。

なかなか、解決策が見つからず、それからは、
研究室で考え、さらに、帰宅途中、かなり遠い自宅まで
歩いてかえり、その間、問題を ヅーット 考え続けたといいます。

それでも、わからず、夕食のあとも、寝床に入っても考え、
翌朝、研究所に向かう途中も、歩きながら考えつづけたそうです。


繰り返し、繰り返し、思考を続けたのです。


研究所への途中、喫茶店に入り、休んでいる時、やっとその問題が
解けたのだそうです。


そういう一文を、文芸春秋か何かに書いておられたのを
読んだことがあります。

研究者だからと言ってしまえば、それまでですが、

一流となる人たちは、皆そのカゲで並々ならぬ努力
つづけているのではないでしょうか?


梅佳代さんの見えざる努力!!



26歳で「木村伊兵衛賞」を受賞した「梅佳代」さんは、


「朝起きた時から夜寝るまで、カメラを傍らに置くのが
習慣になっていた」


「ハッと思った瞬間にシャッターを切る。
        発見するという感じがして、どんどん楽しくなっていきました」



と、対談で、語っております。


若くして、「木村伊兵衛賞」を受けた女性カメラマンも、人知れず
見えない努力をいていたことが伺えるじゃないですか!


もうご存知、「木村伊兵衛賞」といえば、「土門拳賞」と並ぶ、
写真界・最高の「写真賞」です。


コンテスト入選は雑誌を頼りに独学をする初歩の人にとって、
難しいと思いますが、


撮る前に 「徹底して考える」 ことを、

実践してみて下さい!


そして、もう一つ宮崎さんには、

「動物を撮ること」に対する「情熱」

尋常ではありませんでした。


これについては、かれを支援した作家と雑誌編集長も
非常に、感動しておりました。


どうぞ、あなたも、
「情熱」を持って、
「深い思考」を試してみて下さい。



それでは、今日はこの辺で。



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