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報道写真家「水俣病」個展でデビュー!生き甲斐と使命をかけた半生! [報道写真家]

報道写真家桑原 史成さんは27歳の時、個展「水俣病」でデビュー!
学生時代から水俣病を粘り強く取材し、発表した写真が好評を博した!
生き甲斐と使命をかけたその半生をラジオで語る。




懐かしき独学の報道写真家





報道写真家の桑原 史成(くわはらしせい=79)さんが、
今日(3月1日)NHKラジオにに出演していました。


著名な報道写真家ですのでご存じの方もあると思います。



早朝(4時半)ふと目が醒め、なかなか寝付かれなかったものですから、
何となくラジオを点けたところ、「フオトグラファー」 という声を耳にしました。


おやっ?  と思ってそのまま聞いていたところ、
一人の報道カメラマンがインタビューを受けていたところでした。



誰だろう、私は、耳をそばだてました。


朝、4時半といえば、普通なら、スイッチを切って眠りにつくところでしょう。


しかし、「フオトグラファー」と聞いただけで、トタンに目が冴えました。(笑)


習性なんでしょうね。


そのあと、続いて流れてくる声に聞き入っていたのです。

そのカメラマンは、「水俣」で有名な報道カメラマンの

桑原 史成さんでした。


もう79歳になるそうです。


懐かしいカメラマンです。


私が、学生の頃、ある雑誌記事を切り抜いて貼っていた
カメラマンの一人だったのです。


以前にも、書きました「切り抜き帳」に貼っていた人
だったのです。


阪神大震災で切り抜き帳はなくしましたが、
辛うじて残った1冊を、私は、すぐ開いてみました。


ありました!


若き日の新人カメラマンとして紹介された記事が、
少し黄ばんでいましたが、
著名な評論家 「重森 弘淹=こうえん」 の
紹介記事と共に載っていました。


報道カメラマン.jpg
(若き日の桑原 史成さん)


ラジオで語る報道写真家の桑原 史成さんは、

様々な話をされていましたが、

次の言葉が印象にのこっております。


・・・やはり人物に惹かれますねー。
風景は、翌日そこへ行けば同じ風景が見えます。

しかし、人物の場合、2度と同じ顔をみることができません。
絶えず表情は変わります。

これは私の撮影における、醍醐味です。

尽きない表情を追い続けることは、生き甲斐でもあり、
使命のようなものを感じます。




報道写真家を目指した桑原さんは、東京農業大学出身ですが、

在学中に写真に興味を持ち、独学で写真を学んだようですが、

途中から、前述の 「重森 弘淹=こうえん」 氏の写真学校である
「東京写真専門学校」に通っています。

働きながらですから夜間部の方に通ったようです。


こうして、27歳で、個展「水俣病」を開催したのでした。


「水俣病」というのは、川に流れる工場廃液に侵された
公害病で、当時、非常に大きな問題となったそうです。


桑原さんは、その病気の悲惨さを執拗に、カメラで追った
一人なのです。

個展の様子を私も、雑誌で見たことがありました。


写真①(ヤフー検索ヨリ)
水俣病.jpg


上の写真は、水俣病患者の手を手を撮ったものですが、
シルエットに近い手が白いバックから突き出たように表現されています。

掲載された雑誌を見た時、
不気味な迫力が感じられて、
その人物が叫んでいるようで、
長くは見ておれませんでした。



カメラ雑誌のバックナンバーで,コンテスト上位にたびたび
桑原さんの写真が載っていたようでした。

学校で写真を学び、カメラ雑誌の月例コンテストでも、
腕を磨いておられたようです。




「重森 弘淹」氏は、桑原さんのことを、


「水俣の取材は3年ほどかかっているが、鈍重と思える
ネバリと根性がそれを成功させたのである」


と讃えていました。









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